陶器辞典

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●索引●
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あ行 【あ】 有田焼(ありたやき)
1616年朝鮮から帰化した陶工、李参平によって日本で初めて磁気が九州肥前地方で焼かれました。 それまでは分厚く重く、土器の延長であった陶器と違って軽くて白く透明感のある磁気は大変 珍重され垂涎の的となった訳です。
鍋島藩の貴重な財源として技法の流失を恐れ、一子相伝など厳しく規制されました。 その為もあり以後約200年間、美濃地方で1800年初頭に焼かれるまで独占的に作られました。 この間1646年には初代柿右衛門が赤絵付けに成功し又1659年オランダの東インド会社によって ヨーロッパへ初めて輸出されました。
尚、肥前地方で焼かれたアンティーク陶器を古伊万里と呼びますが、江戸時代伊万里地方には 窯はありません、伊万里港から出荷されましたので、その名で呼ばれました。

上野(あがの)(福岡県)
1600年初期に李氏朝鮮の陶工により開窯する。
江戸初期の茶人、小堀遠州により「遠州七窯」の一つにかぞえられ、茶陶窯として確立された。
現在は渡、高鶴、熊谷窯など有名ですが作家、窯は多くない。
【い】 伊賀(いが)(三重県)
桃山時代、古田織部好みの歪みのある、又豪快な茶陶で最盛期をむかえた。
信楽と同じ土を使用しているため長石の粗粒が表面に顔を出し我が国、独特の風情がある。
現在でも個性豊かな土鍋や雑器を焼いています。

いっちん
筒書きとも言う。化粧土を筒の中に入れ絞り出すように描く技法。
筆で書く技法と異なり大胆に表現でき、かつ異国情緒な雰囲気があります。
この技法は世界各地で古くから使われている事が興味深い点です。
我が国でも現在若い作家を中心に使われることが多くあります。

伊羅保釉(いらほゆう)
黄茶色の釉薬がまだら状に流れている、伊羅保は高麗茶碗に古くからあります。
鉄釉の一種ですがマット(艶消し)釉に鉄分を加えたものです。
【え】 越前(えちぜん)
日本海側にある最大の窯業地です。鎌倉、室町時代から無釉の壺、カメ、すり鉢など 生活雑貨を一貫して制作し、その作風は古武士的な力強く、健康的なものです。
現在は手作りの焼締めを主に作家が活躍しています。

絵付け(えつけ)(下絵と上絵)
素焼きの上に呉須(酸化コバルト)紅柄(鉄)で絵付けをし、釉薬をかけ約 1300度焼成したものを下絵付け(染め付け)といいます。
釉薬のしたに絵付けがしてあるため剥げることがありません。
中国では釉裏青、青花と呼ばれています。
又、色絵は金、銀、赤、黄、青など原色を釉薬の上へ約800度で絵付けをいたします。
原色は高温に耐えられないために上絵と称して、もう一度焼くわけです。
釉薬の上に絵付けがしてあるため使用しているうちに、多少色褪せいたします。

塩釉(えんゆう)
焼成中に焚き口から食塩を投入する。
それにより素地面に鮫肌状態が出現し、独特の雰囲気があらわれる。
浜田庄司、武雄の丸田正美氏など民芸作家も創作しております。
【お】 織部(おりべ)
織部は志野の一種です。
桃山時代の武人であり茶人である古田織部の好みによって美濃、今の岐阜県で作られた 我が国独特の焼き物です。
デザインは異国情緒溢れる大胆な鉄絵に銅緑釉を施したものです。
その種類は黒織部、青織部、鳴海織部、織部黒などあります。

小鹿田(おんだ)(大分県)
日田の山中にあり今でも水車を利用した唐臼が陶土をくだいている。
高取焼が源流とされ江戸中期1700年初頭の開窯、世に広めたのは柳宗悦といわれている。
いっちん(筒書き)、刷毛目、櫛目などの技法を駆使しますが、飛鉋は特に有名です。
又バーナードリーチも滞在し作陶したことがあります。
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か行 【か】 笠間(かさま)(茨城県)
江戸後期1770年頃、久野半右衛門が開窯。
信楽、美濃の陶工の技術指導を受け、藩の助成を得て発展する。
現在は若い陶芸作家が多数入り、感覚豊かな陶器を創作しています。

窯の種類(かまのしゅるい)
野焼き・・・土器を焼いた原始的な方法、野原に藁や薪などを積んで焼く。
穴窯・・・・古代、中世に利用された。山の斜面を利用した反地下式の窯。
蛇窯・・・・登り窯の基礎的な窯で傾斜地に蛇が登るように長く(30〜40m)築かれた窯で、間仕切りはない。
登窯・・・・傾斜地に数ヶ所の焼成室を連結した窯、熱効率が一番良い。
以上は殆ど燃料に薪、中でも火力が高いため赤松が利用されましたが、公害、 焼成時間の長さ、金銭的な問題から一部の作家しか使用していません。
現在はガス窯が最も多く使われ、他には電気、灯油などです。
尚、トンネル窯と云う大量生産に適した窯が使われています。
これはトロッコに陶器を積んでトンネルの入口から出口まで通過する内に焼成されます。

唐津焼(からつやき)
西日本各地の人々が今でも焼き物を「からつ」と呼んでおりますが東日本で瀬戸物 と言うことと同じでかなり広く使われていました。
佐賀県、長崎県一部まで窯があり、室町時代以前から焼かれておりますが、豊臣秀吉が 朝鮮へ出兵し、その際李氏朝鮮の陶工を招いてから飛躍的に発展し、とくに茶陶には優品 が多く、一楽、二萩、三唐津などと謂れ、現在に至っています。
朝鮮唐津、絵唐津、彫唐津、三島唐津など多彩です。
【き】 京焼(きょうやき)
京都で焼かれた栗田口、八坂、音羽焼などの総称です。
桃山、江戸時代を通し、千利休の指導により楽焼が長次郎により発祥し、野々村仁清、 尾形乾山の出現により琳派風の色絵陶器が制作され、文化文政期には磁器の製造も 始まり奥田穎川、青木木米、仁阿弥道八、永楽保全ら名工が多数輩出しました。
長い間、文化、芸術として発展してきた歴史があり、現在も洗練された手仕事を中心に 隆盛を誇っております。
【く】 九谷(くたに)(福井県、石川県)
五彩九谷は加賀百万石、華麗な前田家のごとく豪華な色絵磁器の世界であります。
開窯は諸説あり、明暦(1655年)、寛文(1670年)頃といわれており、元禄年間(1700年前後) に消滅したとされております。
その後江戸末期文政年間(1820年)に京都から青木木米らを 招いて再興いたしました。
前期古九谷は製造期間も短かった為数量少なく、幻の古九谷などと呼ばれます。
木米、古田屋、飯田や永楽、庄三風など存在感のある画風が特徴です。
【こ】 小石原(こいしはら)(大分県)
高取焼の流れを汲み江戸初期1665年頃開窯したといわれている。その為茶陶を中心に焼かれ いまもって日用雑器を焼く窯とわかれている。
かなり一般化したといわれますが、私の目には素敵な陶郷の印象です。
雑器は刷毛目、櫛目、飛び鉋、流し掛けなど民窯の特徴が現れています。

御本手(ごほんて)
桃山時代から江戸初期にかけて茶碗などのお手本を朝鮮に送り焼かせた物をいう。
高麗茶碗の一種ですが、御本立ち鶴が高名です。
現在は釉薬の気泡から火が入り淡紅色の斑点が現れる陶器を指してよんでいます。

粉引(こひき)(粉吹きとも云う)
李氏朝鮮の時代に焼かれた意匠の一つです。
土の黒さを隠す為に表面に白化粧を掛けたと されています。暖かさ、やわらかさが特徴です。
我が国へは室町時代後期に登来致しました。
尚、以下のことにご注意ください。
白化粧が厚く掛かっておりますので洗い桶の中で他の食器とアタリますとその部分が剥がれる ように破損する事があります。
使用する前に必ず湯へ10〜20分位、水ですと8時間ほど浸けてください。そうすることにより 臭いやシミなどをある程度防ぐ効果があります。
又、使用後は乾燥させてから収納してください。
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さ行 【さ】 薩摩(さつま)(鹿児島県)
九州各地の窯場は別名、陶器戦争と呼ばれる文禄、慶長の役(1592ー1598)で李氏朝鮮 から帰化した陶工によって開窯、発展してきました。
この薩摩もそのひとつで、竜門司、苗代川など五系統にわけられます。
黒もんとよばれる黒い陶器は庶民、白い土を使った白もんは武士と区別して使われて いました。
【し】 信楽(しがらき)
壺、カメ、すり鉢など日常雑器を焼きましたが、室町、桃山、江戸期にかけて茶陶で 発展しました。
信楽の土は長石の粒を含んだ白っぽい素地が赤く発色し、灰が被り その自然釉がおりなす景色は評価の高いものです。
陶芸作家がこの土を一番多く使う のもその火色に憧れるためです。
現在は狸の置物のほか園芸用品、味わいのある食器 がつくられています。

志野(しの)
桃山時代に美濃、今の岐阜県で焼かれた国独特の焼き物です。
長石釉をたっぷり、厚く掛け白くて重厚な感触があります。
無地志野、絵志野、鼠志野、赤志野、紅志野などがあります。

辰砂(しんしゃ)
銅赤釉と呼ばれる赤い色は織部の青と対比されます。
同じ銅が窯の焼成方法、還元焼成(不完全燃焼)と酸化焼成(完全燃焼)により赤と青 に分かれます。
中国、清朝初期のものが有名で、ルビーのような赤や青紫の掛かった赤 紫辰砂と呼ばれるものなどがあります。
【せ】 青磁(せいじ)
中国戦国時代(紀元前5世紀頃)には既に誕生していたと謂われていますが、宋の時代 に優品が数多く創られました。
中国以外では朝鮮の高麗青磁が有名ですし、日本、ベトナム、 タイでも焼かれております。
釉薬のなかの少量の酸化第二鉄が変化したものですが、天竜寺、砧青磁 など60〜70種ぐらいの色があるそうです。

瀬戸(せと)
東日本では一般に陶磁器のことを瀬戸物と呼ぶように各地へ出荷した日本最大の産地です。
古窯跡は500を超え、志野、織部、黄瀬戸など我が国、独創の焼き物が創られ、また最初に 施釉陶器を焼いたのも瀬戸です。
1800年初頭には九州備前地方に次いで磁気の製造が開始されました。
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た行 【た】 高取(たかとり)(福岡県)
上野と同様「遠州七窯」に数えられている。
慶長年間に高取八山により開窯されたといわれ茶道の発展とともに隆盛になり、特に 茶入れが名高く今もって通用している。
釉薬は藁灰釉、鉄釉、土灰釉が中心です。

丹波立杭(たんばたちくい)
鎌倉時代初期の現代のような堅牢な焼締め陶器の茶壷、種子壺など大きなカメ類が製造されています。
鉄分を多く含んだ土は黒褐色釉と相まって重厚な趣があります。釘彫り、いっちんなどの技法を使い 商品としては傘徳利などが有名です。
【つ】 壺屋(つぼや)
琉球王朝が1600年初頭、薩摩藩、苗代川の李氏朝鮮陶工を招き開窯されたといわれている。
那覇の壺屋には江戸初期に窯場が設けられ、官窯として発展し現在まで続いている。
南洋、中国、朝鮮各地と交易があり本土にはない独特な作風であります。
【て】 天目(てんもく)
鎌倉時代に中国天目山で使われていた黒い茶碗を禅僧が我が国へ持ち帰ったことがその由来に なっております。油滴、曜変、木の葉天目など土と火の芸術といえます。
日本においても鎌倉時代以後、瀬戸、美濃を中心に数多く焼かれております。
現在では釉薬に酸化第二鉄が化合して生まれた黒い焼き物を天目と呼んでいます。
【と】 陶器について
大別すると陶器と磁気があります。
磁気は有田焼に代表されるように、透明度があり、叩くと金属製の音がする白い焼き物で、吸水性 は無く丈夫です。
陶器は所謂、土物です。磁気に比較すると、もろく水分を吸収します。萩、薩摩、益子などですが、 この土は使用に際し次の注意が必要です。
(1)極端なシミがつくのを防ぐ為湯へ10〜15分浸す。水の場合は5〜6時間。 又洗剤を入れると臭いを吸収する事があります。
(2)使用後はカビの発生を防ぐ為に洗った後よく乾かしてから収納してください。
(3)粗土のため引きずるとテーブルに傷がつくおそれがあります。

尚、備前、信楽、丹波立杭焼などは中間の、石器と呼ぶ事もありますが、使い方は陶器と同じです。
又、焼成方法に以下の物があります。
還元焼成・・・窯の中を不完全燃焼します。磁気はすべてこの方法です。白磁、青磁、辰砂など
酸化焼成・・・窯の中を完全燃焼します。陶器をこの方法で焼成する場合が多いのですが釉薬にもよります。
中間炎・・・・陶器を上記の中間で焼成する作家もおります。

常滑(とこなめ)
愛知県知多半島にある大窯業地です。平安、鎌倉そして室町時代にカメ、壺などの大物が創られ 東北、九州など各地へ出荷されました。
江戸期には海の藻をのせて焼成する「藻掛け」が考案され 、幕末には朱泥急須をつくり現在に至っています。
砥部焼(とべやき)(愛媛県)
江戸後期1770年頃磁器の製造が始まり、現在まで200年以上その歴史があります。
九州肥前地方の陶工が入り技術の向上が図られ、発展しました。
昭和には富本憲吉氏の指導により洗練されたデザインの器が数多く創られるようになりました。
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な行 【な】
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は行 【は】 灰釉(はいゆう)
5世紀に大陸から登り窯の焼成方法が伝来し、大量に焼かれるようになりました。
燃料となった藁や薪の灰が陶器に飛散し高温によりビードロ状に変化したのが 始まりとされています。

萩(はぎ)(山口県)
李氏朝鮮から帰化した陶工、李勺光兄弟により1600年初頭今の萩市、長門市に開窯されました。
高麗様式を純粋に継承し、現在にいたっている。
特徴の一つとして切り高台、割高台といって高台を一箇所から数箇所切り込んだものが多く みられます。
何故割高台か?にはいくつか説があり、「重ねて藁でくくる際便利だった」 「武士と庶民を区別した」などがあります。
又、萩の七化けと謂れ使い込む程に表情が変化してきます。

万古(ばんこ)(三重県)
江戸中期に開窯され、はじめは無釉焼き締めの上に赤絵付けしたものが多く焼かれましたが、
明治に入り紫っぽい焼き締めの急須が製造され人気を呼びました。
鉄分の多い素地はお茶のタンニンと相性がよく、味がまろやかになるといわれています。

【ひ】 備前(びぜん)
現在大変人気のある窯業地です。ご存知のように釉薬を使用せず1300度近くの高温で固く
焼締め、その土味を存分に生かしています。800年間変わらぬスタイルは備前だけです。
有名な火襷は陶器の間に藁を挟んで焼き、藁の跡が赤く発色したものです。
備前はどんな料理にもマッチします。
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ま行 【ま】 益子(ましこ)(栃木県)
笠間焼窯元の技術指導により江戸末期に開窯されました。 すり鉢、カメ、各種壺など日常雑器を製造していましたが大正時代の末に浜田庄司氏が定住して 以来民芸陶器のメッカになりました。

【み】 三島(みしま)
李氏朝鮮初期に焼かれ我が国へは室町時代後期に渡来し、茶人に珍重されました。
鉄分の多い黒い土に印花、線彫りをし、その上へ白化粧を施した所謂一種の象眼技法です。
高麗時代の象眼青磁の流れを受け継ぎ、その為韓国では粉青しょう器と呼ばれております。
現在我が国では各地の窯、作家が大胆なものから繊細な三島などを焼成しております。

美濃焼(みのやき)(岐阜県)
美濃は瀬戸と距離も近く歴史的にも深く、互いに影響を受けています。
平安時代前後の古窯跡が数多く発掘されておりますが、室町時代に瀬戸から導入された施釉(釉薬を掛けた)
陶器の生産、茶道の発展により桃山時代に志野、織部など我が国独特の焼き物が創作されました。
現在は日本最大の窯業生産地として各種陶磁器を生産しています。
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や行 【や】 焼締(やきしめ)
最も原始的な制作方法から発展して参りました。 縄文、弥生土器(焼成温度600〜700度)土師器を経て5世紀に大陸から轆轤技法や登り窯の 焼成方法が伝わり須恵器(焼成温度1100度)が大量に焼かれるようになりました。
上釉を掛けない焼締めたものです。
現在は1300度前後で焼成され、代表的なものに備前、信楽、伊賀焼などがあり、色々な 土味を楽しむことができます。

柳 宗悦(やなぎむねよし)
明治22年東京に生まれ昭和36年逝去。
東大宗教哲学を専攻。雑誌白樺に同人として執筆する。
民衆が生活に使っている工芸こそ美しさがあると称え民芸という言葉をつくった。
その理論に共鳴した作家は陶器では、浜田庄司、河合寛治朗、バーナードリーチ、染色では 芹沢けい介、織物では外村吉乃介、そして版画の棟方志功などのかたがたです。
1 手仕事である
2 ある程度量産が出来、価格の安いもの
3 実用品である
など健康的な美しさを尊んだ。
昭和11年に駒場に日本民芸館をオープンし収蔵品を常設展示する。
日本民芸館  東京都目黒区駒場4−3−33
TEL:03-3467-4527
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ら行 【ら】 楽焼(らくやき)
桃山時代豊臣秀吉が造営した聚楽第でつくらせた為にその由来があると云われている。
焼成温度低く750〜1100度位通常の陶器は1200〜1300度である。
京都の楽家は初代長次郎より継ぎ現在15代楽吉左衛門まで数える。
現在では京都の他各地の窯、作家が同様の陶器を作っております。
本来茶の世界で使用される為に作られ、茶碗の他香合、花入れ、水差し等の作品が大部分ですが 食器も珠にみられます。種類は赤楽、黒楽の他色物あります。
使用にあたっては低火度焼成弱く、熱い茶などを入れますと土の臭いがします又、酢を使った 料理はご遠慮ください。
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わ行 【わ】
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*参考文献
○やきもの辞典 平凡社/○陶芸釉薬 理工学社/○カラーブックス 保育社 /○カラーやきもの(1)(2) 山と渓谷社/○日本陶芸の鑑定と観賞 金園社/○雑誌 太陽/○日本のやきもの 読売新聞社/○日本の陶芸と窯 講談社MOOK

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